仙台高等裁判所 昭和38年(う)305号 判決 1964年2月07日
主文
原判決を破棄する。
本件を青森地方裁判所八戸支部に差し戻す。
理由
本件控訴趣意は、青森地方検察庁八戸支部検察官検事石川惣太郎名義の控訴趣意に記載するとおりであるから、これを引用する。
職権を以て調査するに、
(一) 本件は、記録によつて明らかなとおり、検察官から傷害罪の起訴があつて、原判決も同罪で被告人を処断したのであるが、当審受命裁判官の医師葛西亨に対する証人尋問調書と当審において検察官から提出の鑑定人弘前大学医学部病理学校教室佐藤光永作成の鑑定書によれば、傷害の被害者村上紘紀は、原判決の言渡後、昭和三八年七月二三日午後五時五分頃青森県八戸市大字白銀町字木戸場青森労災病院で死亡したことが明らかで、死亡の原因は、被告人から刺傷された大動脈弓部左側の裂孔からの出血で、失血死したもののようである。そして、被告人の検察官に対する供述調書と右医師葛西亨に対する証人尋問調書によれば、死亡した村上紘紀は、昭和三八年五月六日午後八時頃被告人に刺され、その直後同病院にかつぎ込まれて手当を受け、開胸手術をして、一応は止血に成功したが、ひどい傷で大量の出血があり、ひまどれば失血死の恐れがあつたし、傷口を開いても、大動脈、肺動脈いずれからの出血か、出血個所を確認することができなかつたので、ともかく、血の吹き出している部分を結紮縫合して止血し、手術を終えたのである。予後は比較的順調で、普通食もとるようになり、六月一五日頃には用便等のため歩行も可能となつたものの、まだ、危険から脱したわけではなく、同月一〇日からは動脈瘤の疑いがあつて、同月一二日に胸部透視、同月一七日に肺葉部の断層写真、同月一九日には心血管造影をやつて検査を続けているうちに、七月四日頃になると、血痰ないし膿性の痰を一日二、三個から一〇個ぐらい排出するようになり、放置すれば危険で、手術を必要としたが、手術に必要な代用血管が未到着のうちに、病状が悪化し、傷害を受けた日から数えて七九日目の同月二三日午後五時五分頃入院のまま死亡するに至つたことが認められる。もつとも、前掲佐藤光永作成の鑑定書によれば、傷害当時の大出血は、大動脈弓部左側が傷つけられて小裂孔ができ、ここから出血したのであるが、右病院で手術の時には、大動脈壁そのものを縫合することができずに縦隔洞左側の肋膜だけを縫合したのである。それでも、胸腔内への出血は一時阻止され、大動脈と肋膜との間には血腫が形成されたが、身体の一般状態が回復に向い、血圧も回復するにつれて、大動脈裂孔からの出血が始まつて、次第に多量となり、ついに、当初の損傷で抵抗の弱くなつていた肺の組織に血液が破出して、死亡するに至つたというのであるから、前述の医師葛西亨の証言は、死亡直前の大出血の原因の点で、以上の解剖所見と必ずしも合致するものではない。しかし、いずれにしても、被害者村上紘紀は、被告人から刺された傷で入院加療中、六月一〇日頃から、既に、死亡の危険の兆候が著われていたことが認められる。一方記録中の医師葛西亨の昭和三八年五月七日付診断書によれば、被害者の傷は『左前胸部、左肺上葉及び上行大動脈刺創で同月六日手術施行。全治三ケ月と思われ、今后引続き入院加療を要す』というのであるから、身体の重要部分の傷害で、重篤な病状であることが明らかであり、かような傷が、ときには、致死傷に悪化することも稀ではないのである。したがつて、原審においては、弁論終結(六月二四日)の前に、医師を喚問するなど適当な方法によつて、被害者の病状の取調をするのが、量刑の点からも必要であつたし、また、容易にこの取調をすることができたのであつて――もちろん原審検察官は進んでこの点の証拠調の請求をなすべきであつた――その結果、被告人に対するより適切な罪状を決定することも可能であつたと認められるから、この証拠調をなさずに、原判決が、挙示の証拠のみによつて、単純傷害罪で処断したことは、結局、審理不尽に基く理由不備の誤りがあるといわなければならない。この誤りが原判決に影響を及ぼすことも明らかであるから、この点で、原判決は破棄を免れない。つぎに、現行刑訴法上控訴審は事後審の原則をとり、事後審査は、原裁判所の立場に立つて行なわれるのが建前で、原判決の言渡の時を標準として原判決の当否を審査するのであるか、同法三九三条二項は、例外として、控訴裁判所は、必要があると認めるときは、職権で、第一審判決後の刑の量定に影響を及ぼすべき情状につき取調をすることができると規定している。そして、ここにいわゆる『刑の量定に影響を及ぼすべき情状』には、単に、被害の弁償、示談の成立等の情状ばかりでなく、本件のごとく、傷害被告事件において、第一審判決後に、被害者がその傷の結果死亡した場合における死亡の事実のように犯罪事実の変化に伴なう情状も含まれ、控訴審としては、このような場合には、この死亡の結果をも含めて、原判決の量刑の当否を審査するため証拠の取調をなし、その結果は、同法三九七条二項の適用として破棄の理由となしうるものと解するのが正当である。ところで、本件につき、当審で取り調べた結果は、さきに説明したとおりであつて、本件の被害者村上紘紀の死亡は被告人から受けた刺傷に基づく疑いが深く、してみれば、原判決が本件につき、被告人を単純傷害罪として懲役一年、三年間執行猶予に処したことは、刑の量定が不当で、破棄しなければ明らかに正義に反すると認められる。原判決は、この点でも破棄を免れない。
よつて、控訴趣意に対する判断は省略し、刑訴法三九二条二項、三七九条、三九三条二項、三九七条一項、二項によつて、原判決を破棄し、本件を傷害致死罪として処断するには――当審において検察官は本件を傷害致死罪に訴因、罰条の変更請求をしたと陳述した――訴因の変更を必要とするが、この場合の控訴審での訴因の変更は許されないと解するから、同法四〇〇条本文に従つて、本件を原裁判所である青森地方裁判所八戸支部に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。(裁判長判事斎藤寿郎 判事斎藤勝雄 杉本正雄)